富士を鎮める河口浅間神社「稚児の舞」
全五舞のうち、三番目に奉納されるのが「剣(つるぎ)の舞」。稚児の舞を通して唯一一人で舞います。
おそらくは一番年長のこの子の剣の舞、すごくかっこよかったです。かっこいい!
剣の舞は、採物(とりもの)として左手に剣を持ちます。
場の悪霊を祓う舞で、時より地面に剣を突き立てるようにするのは地に潜む悪霊を祓う意味があるのではないでしょうか。
本当の鉄ででいているとかで、重さもあるらしく女の子が扱うにはなかなか大変な剣のようです。
それでも器用に手首を返しながら上手に舞を奉納されます。
待っている間も、真剣なまなざしで他のお稚児さんの舞を見守ります。
「剣の舞」では太鼓のテンポも少し早くなります。
今年のお稚児さんは6人。毎年に比べると少ないそうですが、それでも一人一人がしっかりと舞われるので見ごたえがあります。全員が見事に「剣の舞」を奉納されました。
三番「剣の舞」続いて舞われるのが4番「八方の舞」です。「稚児の舞」は4月25日の「孫見まつり」と7月28日の「太々御神楽祭」で奉納されるのですが、ひとつ大きな違いがあり「孫見まつり」では、3番「剣の舞」までしか奉納されません。この「八方の舞」から後は、「太々御神楽祭」でしか観ることができません。
「八方の舞」は二人舞で、採物をふたたび御幣に持ち替えて舞います。
八方向を清め、大地を鎮める舞です。
縦横斜めと八方向に動き、御幣の下をくぐって立ち位置を入れ替えるなど一番複雑な動きをする舞で、十分な鍛錬が必要とされる舞です。
「稚児の舞」では足先を地面に沿わせるような独特の足運びをします。
一番小さな二人も、しっかりとした練習を重ねてこられて無事、八方の舞を舞い切りました。
春の「孫見まつり」のほうが、神輿なども出て盛大で大勢の人が訪れるようですが、長い歴史をこえてしっかりと紡がれている「稚児の舞」、五舞すべてを見るならば「太々御神楽祭」に来る必要がありますし、それにこたえてくれるものがこの「太々御神楽祭」にはあります。
四番「八方の舞」そしていよいよ次が「稚児の舞」最後を飾る、5番目の舞となります。
「宮巡りの舞」。採物を扇に変え、お稚児さん全員で奉納する舞です。
拝殿から土間をまわるように本殿へと進み、本殿で拝礼しお祈りを捧げます。
その後、拝殿へと戻り再び本殿へと進んで拝礼。宮を三度巡り祈りを捧げます。
今年は6人のお稚児さんが「太々御神楽祭」で富士山を鎮めるという大切な役を務めてくださいました。
稚児は、かつて神官の家か、富士山信仰の世話役として宿を提供し祈祷を行った御師(おし)の家の娘に限られていたそうです。
今ではそれほど厳しい条件はありませんが、氏子の子女の中から選ばれているそうで、大変名誉なことであるとされています。
実際、富士山に祈りをささげるというのは、本当に大切な役割であると思います。決して大げさと言うことはないと思うのですが、同じ日本に住むものとして鎮静の祈りをささげていただいていることに感謝の気持ちです。
扇を持った片手をずっと上げたまま宮を三周も回るのは本当に大変なことだと思います。
最後に拝殿に帰って来て、祈りを捧げて「宮巡りの舞」しいては「稚児の舞」「太々御神楽祭」が終了となります。
五番「宮巡りの舞」朝から夕方まで。大役お勤めありがとうございました。
先代の先生が笑顔で拍手を送っておられたのも印象的でした。
大役を終えられたお稚児さんも帰路につかれます。
みなさんで並んでパチリ。いい笑顔です。先生もお疲れさまでした。
いま目の前には6人のお稚児さんがおられますが、「稚児の舞」の1100年以上にわたる長い歴史。いったい何人のお稚児さんたちが、富士を鎮めることを願ってこの「稚児の舞」を舞い、どれだけの地域の人たちに支えられて現代まで伝えられているのでしょうか。「稚児の舞」を紡いでこられた先人の皆様に思いをはせるだけで、部外者ながらも、この「稚児の舞」の大切さを感じずにはおられません。
「稚児の舞」の魅力を考えると、長い年月を越えて脈々と伝えられている脈動のようなものが、「稚児の舞」の素朴な音色と、稚児たちの舞の中に息づいているように感じられるのです。そしてそれを地域の人たちが支え伝えていることに心動かされるのだと思います。
「稚児の舞」は国の重要無形文化財に指定されましたが、「稚児の舞」とは舞そのものだけではなく、それを支え伝える全ての人を含めて「稚児の舞」なのだと感じる祭りでした。
山梨県富士河口町・河口浅間神社「稚児の舞」
僕にとってはちょっぴり遠征になりましたけれども、行ってよかったです。
最後ちょびっとだけ力仕事のお片付けをお手伝いさせていただくことができました。
地元の方と祭りを通じて少しでも関わり合いになれることが楽しくて仕方ありません。
(その5)につづく。